近頃つくづく思うのは、自分は歌が好きなんだろうなぁということです。
今まで機会があって人前で歌を披露する事が数回ありましたが、大変気持ちのよいものです。
これならばバンドをやっている友人たちもすっかりはまってしまうわけだなぁと思います。
何でこんなことを思ったのかと言いますと、映画の「少年メリケンサック」をみてきたからなんですね。
あれは客を大変選びますが、よい映画ですよ。ニーズはいささか狭いですがね。
他人とは他の人のことです。自分以外の人間のことであったり、そのトピックに関係のない人のことであったり、色々します。
その他人と自分とを、ないしは身内とを比較して考えることはよくあります。例えば裕福か貧乏かとか、真面目か不真面目かとかそんなことです。
人間の評価なんてのは、絶対的につけようとしたってなかなか難しく、往々にして他者との比較でつくことが多いものです。入試だとか、陸上競技だとかも結局はそのとき争っている相手や、先人の記録との比較で評価されるわけです。
そもそもが絶対的基準と言うものが過去のデータに基づいて定められているのですから、他者との比較と言うものはどうしたってついて回るのです。
ナンバーワンよりオンリーワンなんて言葉が流行りましたが、オンリーワンと言う概念自体が他者の存在によってたつものでしょう。
どうしたって人間と言うものは他人との比較からは逃れられないものでしょうか。少しでも他人よりよくあろうとするのは、人間の宿命でしょうかね。
あまねく人間に唯一平等に与えられているのは、一日二十四時間という時間である。という話を聞いたことがあります。
勿論、個々人の事情によって、その内で本当に自由に使える時間には差が出てくるのでしょう。しかし、その時々で自身が選択できる行動を、自分が使える時間の範囲に割り当てて生きていることには違いありません。
結局その繰り返しが日々を作っていくのであるならば、自分にできるのは如何にその場その場での自分の選択に責任を持ち、使える枠を活かしていくかと言うことを考え続けることではないでしょうか。
人生と言うのはどんな立場の人間であれ、自分自身の選択とそれによる結果の積み重ねで成り立っているわけですね。
自分の身の回りという、とても限定的でちっぽけな世界ですら様々な境遇の人々で溢れていて、それぞれがそれぞれの悩みと問題を抱えています。
広い世界には過酷な境遇にある人もいれば、恵まれている人もいるでしょう。更には生まれて間もなくなくなってしまう命や、生まれることもできずに消えていく命もあるでしょう。
しかし、すべての命は生まれてこようとして発した命には違いはなく、それは人としての最初の選択なのではないでしょうか。
一寸話が大きくなりすぎましたが、要は人間の生き方の本質は選択にあるのではないかと言うことです。
そして、そうであるならばやはり自分は日々の生活において自分に恥じるような選択をしたくはないと、こう思うわけです。
どうも不本意で情けないこと続きの近頃ですが、役者ならば芝居で答えを出すしかないと思います。
現状であまり多くを語る気にはなりません。
どうも。お久しぶりの投稿です。
いきなりタイトルのことについてですが、気力・体力共に充実した状態ってなんでしょうねぇ。
思うに、体がボロボロでも気力が充実している限りは実感として絶好調なのでは。
逆に、体力が有り余っていても気力がなければ、しょうもないことになるのではないでしょうか。
結論として、気力たっぷり体力程々くらいが丁度よいのかもしれないなぁと今思っています。
男の子は逆境に酔ってしまうところがあるので、体力がちょっとくらいヤバイ方が気力には好影響なんじゃないですかね。まぁ、遊び呆けて疲れて眠いとかは関係ないので論外ですが。
精神論だけぶっても犬死にするだけで仕方ないのですが、そうすると知識と基礎をバックボーンとして無茶をやらかす位が一番よいのでしょうねぇ。
ちと気合を入れて無茶していきたいと思います。
スリーエフは関東と四国の一部のみに展開している、所謂ローカルコンビニなのです。いわばポプラとか、山田うどんとか、十万石まんじゅうなんかと同じくらいの知名度です。
ただ、横浜発祥を名乗っているため、埼玉人としては上記のものより洗練されたイメージを持ってしまいますね。
そんなスリーエフですが、一部では「店員の教育に厳しい」という評価らしいです。自分にはよくわかりませんが。
ただ、店にもよりますが、なかなか品揃えのクオリティがよろしいのではないかと思います。キャンペーンなんかも基本的に外れなしを方針としているみたいです。まあ、実質はずれみたいなのはありますがね。
今なら毎時五十分からゆずの番組を有線で流してますので、ゆずファンのひとはどうぞ。
因みに神奈川県の方針に合わせて酒・タバコの年齢確認強化中のようですので、お気をつけください
人生の時間は短いと言いますが、全くそのとおりです。世界の全てを知ることは不可能ではあるのでしょうが、しかし知的欲求と言うものは留まるところを知りません。
まあ、そんなわけであまり役者に向いてない性格かなあと思う自分が役者を志すことになったわけです。
やや飛躍していますが。まあその間のことは気が向いたらそのうち書きます
また間違えて消したので今日は書きません。アンドゥ機能位つけといてくれよ
万年金欠病ですがまた衝動買いしてしまいました。超節約モードに突入します。ごめんなさい
さて、突然ですが今日は授業態度のお話です。
最近の学生は(とはいっても最近のしか知りませんが)黙って先生の言うことを聞いているのが真面目なものだと思っている節がありますね。
まあ、たしかに話をしっかり聞くのはよいことではありますが、それだけでよいのか。ということを言いたいのです。完全に受け身の体勢では先生にとって生徒は聴衆以外の何者でもありません。
そこで私が提案するのが雛壇芸人です。別に芸人でなくとも雛壇アイドルとかでも構いません。まあ、要は踊るさんま御殿とか、島田紳助司会の番組とかのゲストのポジションです。
出川哲朗や若槻千夏のように雛壇で一定の名声を得た芸能人は、決して司会者の作る流れを必要以上に乱しません、しかし自分の存在を場にアピールして、場の流れに於いて主要な位置を占めるのです。
そのためには司会者の作る流れを分析し、時には周囲に溶け込み、時には話題に綺麗に食いついていくというセンスが要求されます。
これはあらゆるトピックに精通しており、かつ今現在進行中のトピックはどう推移するのかを観察、予測する力と、流れに乗ってタイミング良く発言することが重要です。
これを授業に応用出来れば先生への覚えもよろしく、かつ授業への集中も良好となるでしょう。とはいってもバラエティ番組ではなく授業の場合は頻度においてそれなりのさじ加減が必要ですよ。まあ、それもセンスというものです。
